【地域を編集する学校 受講生記事】1人でも残れば続いていく〜今と昔をツナグ 新富町・新田神楽

「今まで」続いてきたモノ と「これから」続けていくモノ

『ずっと昔からある』っていう理由だけで、続いてきているものって結構ある。
そんな「今までもそうだったから」で残っている行事や物事がある反面、確かに「人」と「人」が気持ちをつないできたからこそ、残っているものもたくさんある。

宮崎県新富町にある新田神社(にゅうたじんじゃ)で「いつから始まったかわからない」ほど、古から続く《新田神楽》は、「確かにつないできたもの」のひとつだ。
年に一度の「春の大祭」が行われる中で、話を聞いた。

子どもも参加する ‟伝統芸能”

毎年2月17日、朝5時から夕方の5時まで行われるという新田神社の「春の大祭」では、「神楽奉納」が行われる。
午後3時頃取材に伺い、舞台の横手にある控え場所をのぞかせてもらうと、小学生くらいの子どもが10人ほど。
真ん中には小腹を満たすであろう鍋料理があり、大人たちは焼酎を飲みながら、休憩していた。

「うちの様子をみると、大家族みたいだねって言われるの。じいちゃんがいて、息子がいて、孫がいる。いろんな世代がいて、面白いよね」

と教えてくれたのは、新田神楽の伶人(雅楽を演奏する人)であり、指導者である緒方利幸さん。
この神楽に携わってなんと30年。「新田神楽といえば、この人に聞かないと」ということで、
祭り当日の忙しいときにも関わらず、焼酎を片手に取材を快く受けてくれた。

見つけた日記 先代たちの苦労

「最初に子どもを入れたのは20年前。後継者がいなくて、どうにかしないとって声をかけたんだ」

20年前。神楽を支えてきた先輩たちが亡くなっていき、どんどん伶人が減っていった。
後継者をと若者に声をかけるが、転職や結婚、仕事などで入っても抜けていってしまう。

「このまま、後継者不足でなくなってしまうのかなと思ってた。そんな時、神社の押し入れから4代目宮司の日記を見つけてね。
そこには『相次ぐ他界により、継ぐ人なし。新田神楽もここまでか』っていうようなことが書いてあった」

同じような存続の危機があったのかと思い、緒方さんは日記を何ページか進めると
『青年団十数名が参加。復帰の兆しが見えてきた』との文字が。

「昔の人たちも頑張ってたんだなってね。そこで、『よし、小さい子を入れよう!』って思ったの。
小さいうちにやって記憶に残っていたら、中学高校と離れても、帰ってくる子がいるでしょ。
で、地域の子どもたちに『神楽せんか?』と声をかけたけど『それ、ファミコンより面白い?』とか言われたりして(笑)」

それでも「やってみる」という子が出てきて、最初の年は30人の子どもたちに教えた緒方さん。
そこから、友人やその弟や妹、そして、地域にある小学校から「総合学習で教えてもらいたい」という話があり、授業の中でも神楽を教えることに。
そうして最初に入った1期生が、今では30歳。30人中、6人が地元に残ってくれたそう。

新田神楽だけでなく新富町全体で考える

これで後継ぎもでき、これで未来は安泰!…というわけではない。
ここ、新富町には4つの神楽があり、その中には後継ぎがいないものもある。

「うちだけが残ればいいってことじゃなくて、やっぱり全部に残って欲しい。
そこで、「神楽祭り」ができないかなって、三納代神楽の人と話してて。
ホールや文化会館でイベントとしてやるんじゃなくて、その地域の人に見て欲しいから、それぞれの神社でやる。
そうしたら「やりたい」って人が出てきて、後継ぎがでてくるかもしれないから」

「町」として、すべて神楽をのこしていきたいという緒方さん。
それは、緒方さんだけでなく、地域の人たちがみんなが同じ想いを持ち、土壌をつくってきた。

ひとりひとりの「神楽が好き」「新富町が好き」という想いが、今と昔をつなぎ、そして地域と人もつなぐ。
たった1人でも、想いがつながれば、それが広がり、「これから」につながっていく。
個人の想いも地域も、同じ方向をみているこの町の未来は、「今まで」と同じく、「これから」を考える人が想いをつないでいくのだと思えた。