

座論梅「梅まつり」開催。座論梅の秘密、教えます!
2月11日、座論梅「梅まつり」が行われました。雨天の影響で1日延期になりましたが、11日は晴天、しかもとっても暖かい日で、町内外から多くの人が訪れ、にぎわいました。このときは、まだ梅は2~3分咲きぐらいでしたが、会場は梅の香りにふわりと包まれていました。ステージでは、町内の名人たちが、神楽や民謡、ダンスなどを披露。子どもから年配の方まで、元気いっぱいでした!
湯之宮座論梅は、いつごろできたの?
国指定天然記念物の「湯之宮座論梅」。正確な樹齢は定かではないそうですが約300年と推定されています。佐土原藩6代藩主(1690年・元禄3年~)島津惟久が詠んだ歌の中に登場し、少なくとも江戸時代の早い時期には、梅園があったようなのです。
座論梅の梅の木は1本1本が、まるで龍が臥しているように見えます。満開の時期は、広がった枝に花がいっぱい咲き乱れ、それはそれは見事です。老木になると幹が倒れ、臥龍梅(がりょうばい)となり、元は1本の古木から周囲に株が広がったといいます。現在、古くから自生する株は45株ほどあるそうです。
ところで、座論梅、珍しい名前だと思いませんか? いくつかの説があるのですが、ご近所の方にお聞きしたところ、江戸時代に佐土原藩と高鍋藩の藩境争いの協議の場として利用されたからという説が有力なようです。梅の季節だったら、そのまま宴会になりそうだけど…、なんて江戸の風景を想像しながら周囲を歩くのも乙ですよ。
梅まつりのスタートは武道大会
梅まつりのステージでは、小学生が堂々と舞う神楽やダンスステージ、民謡、日本舞踊、太極拳など、地域の方が日頃の練習の成果を披露していました。周りのテントでは、新富名物のそばや鶏めし、ぜんざいなども販売。お茶席も用意されていて、春ののどかな1日にぴったりの穏やかな雰囲気。広場を子どもたちが駆け回っています。
数十年前は毎年、梅の時季に、で武道大会をしていたそうです。弓道、柔道、空手、剣道など、新富や児湯地区の武道家たちでいっぱいになっていたとか。湯之宮地区の方にお聞きしたところ「柔道の畳を周辺の市町村から借りてきていたそうですよ。外に畳をいっぱい敷いてね」と話されていました。現在、武道大会は会場を町体育館に移し、県内外から参加する大規模な大会となっています。梅の木の周りで、剣道や弓道を観戦する。なんだかほのぼのとしています。
現代に戻って、今回の梅まつりで面白かったのが餅つき。笛や太鼓のリズムに合わせ、大人や子どもも参加してぺったんぺったん餅をつきます。しかも、桜エビ入り、青のりやクルミ入りなど、風味もひと工夫。つきたてのお餅はよく伸びて、初めて食べる味にも感激。行列ができて、あっという間になくなっていました。
湯之宮には、神武天皇の伝説も
周囲の遊歩道の北側から梅園の中心部をよく見ると「元木碑」という石碑があることに気づきます。ここは、かつて神武天皇が梅の木の杖を突きたてたといういわれのある場所なのです。
ここ「湯之宮」は神武天皇が美々津に向かう際、湯浴みをした地と伝えられています。座論梅の向かいにある湯之宮神社の下には、沐浴をした湯槽の跡があり、かつては湯を湧出していたのだとか。休憩の後、神武天皇が突き立てた杖が芽吹き、梅の木となったとされ、それから座論梅ができたという言い伝えが郷土資料にも書かれています。
梅の花が咲いた後になる梅の実は、地元の小学生が体験学習でちぎりに来るそうです。種が大きく果肉が薄いため、食用にはあまり向かないようですが、伝説の梅を使った梅干しや梅酒を試してみたくなりますね。