学生が旅して見つけた宮崎県新富町の魅力とは?
電車は一時間に一本以下。特急はとまらず。
駅前にはコンビニはおろか、商店一つありゃあしない。
とんでもないとこに来ちまったな。
という印象が私の素直な最初の感想だった。何しろ出身は首都圏なのである。電車といえば堂々の十五両編成であり、家を出ればコンビニの二、三件は近くにあるのが当たり前だ。電車に乗って少し待てば大都会・東京が私を迎え、ほしいものもやりたいことも、何でもできる環境が迎えてくれる。
そのあたりまえが、ここにはない。電車は二両編成で、しかも人間が立つ面積より座る面積のほうが優先されていた。こんなものを都会に持ち込んだらサラリーマンが圧死する。
しかし、そんな新富の魅力を探すことが今回私に課せられた使命なのだという。そのために新富に暮らす人にインタビューを行い、それを文章にまとめなければならないらしい。
新富の魅力とは何だろう。それを話してくれる人に出会い、私はそれを聞いた。まず自然があり、広々とした日向の大地を生かしてライチなどの栽培がおこなわれ、有名なものは銀座のシェフが素材として使っているらしい。夏にはウミガメが黒潮に乗ってはるばるやってきて産卵をして、それを守ろうとする環境整備の活動が長々と続いている。地元の人に受け継がれている貴重な神楽があり、今も中学生たちに受け継がれている。
それに景色もきれいだ。広大な砂浜があり、穏やかな山があり、何より心なし日差しがあたたかな気がする。さすが日向の国といったところだ。
こんな貴重な話も聞くことができた。今度新富でプログラミングの教室を開くという方がいる。その方はプログラミングにまとわりつく陰気というイメージを打破したいと考えており、そのために新富町にサークルを立ち上げたのだそうだ。しかも、地元の方々がそれを手伝ってくれているのだという。私のイメージでは田舎はよそ者に非寛容ということになっているのだが、新富はそうでもないらしい。
なるほど。ではこれらが新富の魅力なのだろうか。確かに新富にはこうした魅力が多分に詰まっているだろう。しかし、それは結論とするべき「新富の魅力」足りえないのではないかと思う。良質な果物なら山梨のブドウがあり、北海道のメロンがあるはずだ。ウミガメなら沖縄にも来る。神楽は私の地元である、埼玉にもある。
しかし、私はそれでも新富は魅力ある街だと思うことができた。ならば、単純な要素以外の魅力があるということになる。
それは人ではないか?
という確信にも似た結論が私の中にある。
私は新富にくるとまた来たいな、と思うことができる。私が新富に来たのは冬だからライチも食べなければウミガメも見なかった。ただ私が行ったことは人と会い、そして話しただけである。それでも私はまた来たいと思うことができた。
思えばライチもウミガメも、人の努力あってのことである。それがなければそもそも新富にそれらが浮かび上がること自体がなく、消えるか元から存在しないかだろう。しかし、それらは現時点において新富町に存在する。それは新富に住む人間が生み出したものである。そして私のような旅行者が会話するのは当然、新富の人間だ。
東京は確かに便利だ。しかし、どことなく素っ気ない空気が全体としてある。それに比べてこの街はあたたかな印象を受ける。
また来たいな、と思うことができた。