• 2018.03.20

九州でたった3軒!貴重な日本酒が手に入る酒屋が新富町にあった

人生初の味わい

宮城県新澤醸造店で作られている日本酒「伯楽星」

宮城県新澤醸造店で作られている日本酒「伯楽星」

「うまっ!なに、この軽さ」

まず驚いたのは、優しい口当たり。
口に含むとフルーティな心地よい香りが口いっぱいに広がる。
それなのに、後口はウソのようにキレが良い。
そのお酒の名前は「伯楽星(はくらくせい)」。
宮城県の新澤醸造店で造られており、九州ではたった3軒の酒屋にしか卸されていない貴重な日本酒だ。
お酒と一緒に食べる料理も、心ゆくまで楽しませてくれる「伯楽星」。
この人生初の味わいを教えてくれたのは、宮崎県児湯郡新富町にある「伊藤酒屋」の伊藤寛人さん。
伊藤酒屋の創業は明治25年。寛人さんは新富の地で120年以上も続く老舗酒屋の5代目店主だ。

自分が行きたくなるような酒屋

伊藤酒屋 5代目店主 伊藤寛人さん

伊藤酒屋 5代目店主 伊藤寛人さん。

「昔から続く酒屋」と聞くと、どんなイメージを持つだろうか。
うずだかく積み上げられたビールかごやダンボール。雑然とした店内。
サザエさんに出てくる三河屋さんのようなお店が浮かぶ人も少なくないと思う。
しかし、伊藤酒屋は違う。

「オシャレでかっこいい酒屋にしたいと思ったんですよ。自分が行きたくなるような」

寛人さんの言葉通り、一歩店内に足を踏み入れると木を中心とした和の雰囲気を感じさせる空間が広がる。

綺麗に整えられた売り場には、日本酒や焼酎、ワインやウイスキーなどたくさんの種類のお酒が並ぶ。聞けば100種類以上の取り扱いがあるそうだ。

伊藤酒屋。おしゃれで整った店内。

伊藤酒屋。おしゃれで整った店内。

大切なのはコンセプト

伊藤酒屋を営むにあたり、寛人さんには心がけていることがある。

「酒蔵さんから酒を仕入れる前には必ず造りの見学をさせてもらっています。
造り手の思いや、これからの方向性などを聞き納得した上で取引を始めることにしているんです」

特に大切にしているのは、造られるお酒のコンセプト。
例として、寛人さんは奥から1本の日本酒を取り出した。それが「伯楽星」だった。
瓶の裏側には「究極の食中酒を意識」という言葉が記載されている。

伯楽星のコンセプト

伯楽星のコンセプト。「究極の食中酒」を謳っている

「お酒はほとんど食中酒だと思うんですが、敢えて『究極の食中酒』と謳うところに、
そのお酒を造る人たちの思いがあるんですよ。
その思いと味わいを一緒に感じると、お酒の旨さが全然違ってくるんです。」

「伯楽星」の話になると、語気に熱を帯びた寛人さん。実はそこには理由があった。

「酒蔵さんに会いに行った日が、3月11日。東日本大震災の日だったんですよ」

伯楽星の酒蔵「新澤醸造店」。YouTubeに、震災当日の映像がアップされている。地震の揺れによって、無茶苦茶に壊れていく蔵の中。寛人さんはこの現場に居合わせた。

震災により新澤醸造店の蔵は全壊。しかし、震災から8ヶ月後には新蔵へ移転・製造再開を実現させ、震災から約2年半後の2013年には、旧蔵のあった場所に事務所兼店舗が再建され完全なる復興を果たした。

信じがたいスピードで震災復興を遂げた新澤醸造店は、これまで以上の酒質向上を目指し努力を続けている。

「もう、この蔵元さんとの関係は運命だと思ってます。それだけ思い入れも強くなるんですよ。伯楽星はウチの看板商品です」

目の前の酒瓶をじっと見つめながら、寛人さんは優しい笑顔で語った。仕入れたいと思った酒があれば、山形、宮城、山梨など場所は問わずどこへでも駆けつける。その思いが、新富町で唯一無二の存在である「伊藤酒屋」を作り上げているのだ。

酒屋を継ぐという選択

明治25年創業 現在の伊藤酒屋。

明治25年創業の伊藤酒屋。

元々は酒屋を継ぐ気は無かったという寛人さんが新富の地に戻ってきたのは15年前。勤めていた会社が倒産し、他に選択肢が無くやむをえず家業を継ぐことにした。

「当時は、ホントひどい店だったんですよ。この店の半分くらいはクリーニング屋やってましたからね。しかも、カップラーメンやらチョコレートやらも売ってて。酒屋って感じではなかったですよ」

寛人さんが戻ってきた頃はちょうどディスカウントショップやコンビニエンスストアが台頭してきた時代。昔ながらの酒屋が無くなっていく中、生き残っていくには専門店にシフトするしか道はないと、5代目として大きく舵を取った。

「結果として、継いで良かったです。酒屋は面白い。やった分だけ結果が出るし、お酒はおいしいし」

笑顔で語る様子からは、今の仕事の充実さが伝わってくる。ただ、酒屋を継いだ当初は、一筋縄にはいかなかった。

「まず、自分の好きなお酒はとれなかったですね」

佐賀の銘酒 五町田酒造の東一は4年。伯楽星は2年。
これはそのお酒を伊藤酒屋で扱いたいと願い出て、実際に置けるようになるまでかかった月日だ。

「アポを取ろうとしても断られるんですよ。簡単には卸させてくれないですね。だからアポ無しで訪問したりして。どうしても店に置きたくて、今も通い続けている酒蔵さんもあります」

蔵元さんと取引きを始めるのは結婚と一緒だという。一度築いたら、その関係は一生続く。だからこそ、お互いシビアになる。ただ、付き合いを始めたら、そこには強い信頼関係が生まれる。寛人さんはその信頼を裏切りたくない一心で、辛くてもやってこれた。

「今後、お店を大きくすることは考えてないですね。ただ、小さくても強い会社を目指します」

重視するのはブランド力。ブレずに自分が気に入った銘柄を伸ばしていきたいと、今後の指針を語った。

寛人さんがオススメしてくれた日本酒「伯楽星」の「伯楽」という言葉には、
「人物を見抜き、その能力を引き出し育てるのがじょうずな人」という意味がある。

分かる人には分かるお酒、というユニークなネーミングだ。その伯楽星を扱う伊藤酒屋もまた、分かる人には分かる酒屋。伯楽星も寛人さんも、本当に良いものを追求していく姿勢が、多くの人に受け入れられている。

伊藤酒屋は、これまでもそしてこれからも、新富町が県の内外に誇れる酒屋だ。