

歴史ある高鍋神楽を後世へ。 6つの神社が力を合わせる「六社連合大神事」
ここは、宮崎県児湯(こゆ)郡木城町にある比木(ひき)神社。創建は西暦200年代、百済の国の福智王をのちに合祀し、古来から特殊神事を多く開催する歴史ある神社です。

訪れたのは2018年12月2日(土)夕方。本殿横にしめ縄や装飾物が飾られた、神楽が舞われる神庭(こうにわ)が作られています。この日は、夜7時から翌朝8時まで高鍋神楽が舞われる「六社連合大神事」の日。地域の人たちがすでに集まっており、焚火で暖をとりながら談笑しています。
お供えの焼酎2升を受け付けで手渡し、舞台そばに腰を下ろして静かにその時を待っていました。
六社連合大神事とは
旧高鍋藩内の6つの神社が結集し、古来より集落の行事として守り継がれてきた「高鍋神楽」を奉納する「六社連合大神事」。比木神社をはじめ、八坂神社(高鍋町)、白鬚神社(川南町)、平田神社(川南町)、八幡神社(新富町)、愛宕神社(高鍋町)が旧郷社と呼ばれ、年ごとの輪番制でこの一大神事を開催しています。
高鍋神楽の歴史は、江戸時代までさかのぼります。
高鍋藩初代藩主・秋月種長公の姫君が大病を患い、回復の兆しも手立ても見つからぬまま、人々は嘆き悲しんでいました。
そんなときに、藩に仕えていた大寺余惣エ門(おおてらよそえもん)という人物が姫君の病気平癒のため、木城町の比木神社へ1000日間参拝し祈願し続けました。その後、姫君は奇跡的に病が治り、藩に平穏な暮らしが戻りました。
その際のお礼に神楽を舞ったことが、「神事(かみごつ)」の始まりだと言われています。
(「六社連合大神事」リーフレットより引用)

明治に入り、時代の流れの中で訪れた高鍋神楽存続の危機。何とかして歴史ある神楽を後世へ残さねばと、6社が一同に集まり神楽を統合して奉納することとなったのです。
19時、祭典スタート
準備の整った神庭には、各神社から集まった、装束を身にまとった奉仕者たち。そして各神社の氏子総代や来賓が対面から見守るなか、祭典が始まりました。
お祓いの後、灯りが消され、オーとかけ声を交互にかけながら太鼓と笛の音が響き渡るなか、神降の儀の神聖なひととき。
神々を招いた後、お供え物が一つひとつ、頭上ほどに高く掲げられつつ正面の祭壇へ供えられます。米、酒、餅、魚、卵、野菜などなど、その数12種類。
「あれば良い、ではなく、準備できる最大限のものを取りそろえることで、神々への敬意を表しています」
と説明のアナウンスが流れました。

神々に対する、五穀豊穣と日々の平穏無事な暮らしへの感謝や祈りの気持ち。伝統文化の継承はしきたりだけでなく、そういう人々の気持ちも継承していくものと言えるでしょう。
約1時間にわたる祭典が厳かに執り行われた後、いよいよ神楽奉納が始まります。
夜通し舞われる神楽33番のスタートは“壱番神楽”
準備が整った神庭に、“壱番神楽”の舞い手である2人の若者が登場。彼らより年上と見られる太鼓奏者の前に正座をし、「よろしくお願いします」と挨拶をしていました。しっかりと舞いきれるかどうか、多少の不安もあるが精一杯やります、そんなやりとりが聞こえてきました。
なにせこの壱番神楽、単独で1時間はかかる大舞台。どれだけの気力、体力、精神力が必要か計り知れません。 この日を迎えるまでの練習や準備にどれだけの時間を費やし、想いをめぐらしてきたことだろう。そんなことが容易に想像できてしまう、若い舞い手と太鼓奏者の一瞬のやりとりに、改めて姿勢を正して神楽のスタートを待ちました。

壱番神楽を間近で見ていると、かかとやつま先を細やかに使った足の運び、そして中腰の姿勢で舞う場面が多いように感じられました。
これは高鍋神楽の特徴でもあるようで、この動きを1時間も続けることはやはり相当な体力・精神力を要するはずです。
舞が終わった瞬間は、若い2人の舞い手に参拝者たちから惜しみない拍手が贈られました。
せんぐまき、だご汁の振る舞いで一息
壱番神楽の後は、ちょっと一息入れるお楽しみの時間。サイコロ状に切った紅白のもちを参拝者たちの方へまく“せんぐまき”が始まりました。拾っても拾っても飛んでくるほど、大量のせんぐまき。拾ったもちは近くの火であぶって食べたり、持ち帰ったり。

その一方で、地元の女性たちが作った“だご汁”が振る舞われます。徐々に寒さが身に染み出した時間帯のだご汁は何よりのご馳走。観客たちは熱々のだご汁を美味しそうに味わっていました。
長い夜をゆったりと楽しんでほしい。神社側のそんな想いを感じつつ、ちょっと雰囲気が和んだところで神楽再開。神楽は“花の手”、“鬼神の舞い”…と続き、夜はだんだんと更けていきます…。
裏で働く、地元女性たちの力
参拝客の後ろのテントで、だご汁を振る舞っている女性たち。
比木神社の宮司の奥様方を中心に集まった地元の女性たちで、関係者の食事や振る舞いの準備に集まったのは当日午前9時だとか。昼食、夕食を作り、神楽の合間につまむオードブルも全て手作りし、そしてだご汁の振る舞い。
さらに深夜3時頃にはうどんを作り、朝にはお供えのブリをさばいて刺身とあら煮で直会。さらに、これもお供えの卵を使って卵かけご飯の朝食を食べてもらうのだといいます。
この振る舞いの流れも、代々受け継がれてきたものです。
「2年前には途中から雨が降ってね。建物内に移動して神楽を続けたけれど、舞台に使う畳が濡れて全部だめになったのよ」と、だご汁をよそいながら話してくださいました。
通常、六社連合大神事は旧暦12月2日に行われますが、この比木神社は毎年12月第1土曜日に単独で神楽を奉納しており、斎主となる今年は大神事を重ねての開催。毎年女性たちが縁の下の力持ちとなり、伝統芸能である神楽を支えているのですね。

朝まで続いた神楽奉納、神事にて終了。若手の育成で神楽継承の礎を築く
朝になり、今にも雨が降り出しそうな曇り空のもと、いよいよクライマックスの「戸開きの舞」へ。飾り縄を一斉に引き取る「繰り降ろしの舞」、神様を送り出す「神送りの舞」にて神楽奉納は無事終了。最後の神事では、奉仕者たちが神庭に並んで神歌を唱和し、締めくくられました。
今回、6社によるそれぞれの神楽を見ながら感じたのは、舞い手に若者が多いこと。
新富町の三納代八幡神社の伶人でもある「こゆ財団」理事の岡本啓二さんに尋ねると、「数年前に比べて、確かに若い舞い手が増えました。各神社それぞれがこども神楽を立ち上げたりしながら、若手育成をやってきた結果でしょうか」と話してくれました。岡本さん自身も、小学生の頃から神楽を習いながら育ったといいます。
女性たちが陰から支え、若者が地域の伝統行事に関わり、継承していく。地域としての懐の深さを感じさせる、この六社連合大神事が、末永く後世へと続いていきますように…。