商店街に唯一のバーを開いた女性が関西から新富町に移住した理由
JR日向新富駅から徒歩12~3分くらいのところに、花屋やスーパーなどの小さなお店が立ち並んでいる商店街があります。その一角に、昨年12月にオープンした一軒のBARがあります。入口前に行くとなんと、赤色の壁や装飾品がとても目立ち、外観だけではBARと区別つかない建物になっています。
お店の中に入ってみると、店主の上中磨哉さんにお会いしました。BARをオープンした経緯や、新富町に移住した理由・取り組んだ仕事内容について、お話をお伺いしました。
【兵庫→大阪→東京→兵庫、そして宮崎へ移住】
上中さんは兵庫県出身。学生時代を地元で過ごし、結婚を機に大阪へ引っ越しました。後に離婚し東京の銀座で7年間働き、地元の兵庫に戻られたそうです。
私が驚いたのが、その後退職し、5年間もの間日本各地を旅したとのことです。ある意味羨ましいというか、なぜそうなったのか不思議な感覚に陥りました。日本各地を旅した結果、沖縄か宮崎に移住したいと決心したそうです。その2つを選んだ理由が、北海道などの北国の冬の寒さと積雪量についていけないとのことで結果、暖かい土地を選んだようです。そして、宮崎県の新富町を移住先として選んだそうです。
【新富町での生活 ~地域おこし協力隊に就任~】
※ここからは、取材をした中で、上中さんがお話されていたことを一部抜粋してお送りします。
「新富町に移住してからは、地域おこし協力隊として、昨年10月まで3年間努めました。主な活動内容は、①婚活イベントの開催②子育て世代に向けたイベントの開催、これらを中心に活動していきました。特に子育て世代が集まるフリーマーケットイベントでは、直接保育所に行って、PR活動をしました。なるだけお金を使わないPR方法を心がけていました。」
「そのフリーマーケットでは、最大で2000名の来場者を呼ぶことをできた時もありました。そして、年月が経つにつれ、出展者の希望者が増えました。現在もこのイベントは、後任の地域おこし協力隊員が継続しています。「新富町を背負っていることは忘れずに」これを任期中は、心がけながら仕事しておりました。」
【このBARを町民の新しい集いの場に】
「地域おこし協力隊の任期満了後、昨年12月にBARをオープンしました。BARを開いた理由として、①飲食店が少ない(町内に10店舗ほどしかない)②女性がワイワイと喋れる空間を設けたい③新富町にまだ無いものをつくりたい。というのを考えた結果、オープンに至りました。」
「しかし、オープンして間もないことから、広報活動は、まだ手探り中。お店の前にある看板も、つい今月に建てたばかりです。経営方針もまだ具体的には決まっておらず、本腰を入れて活動するのには、もうちょっと先になってからです。」
「今後は、PR方法をもっと積極的にしていきたいです。週1回インスタグラムの更新だけだったが、今後は更新回数を増やしながら、チラシの配布も検討しています。また、新富町は農家を営んでいる方が多く、さらに、農家さんは独身者が多いため、女性との出会いの場に活用していきたいと思っています。」
「このBARに関しては、売上でNO.1になろうとは考えていません。生活できる程度稼げれば問題ない。今はゆるやかに暮らしていきたい。」
今回の取材を通して、移住者がのびのびと自由に生きられる環境にあるのが、この宮崎・新富町ではないかと、この言葉を聞いて感じました。移住者の心も穏やかになれる場所だと確信した、新発見の多い取材でした。
★アクセス★
住所リンク:https://www.google.co.jp/maps/@32.0683973,131.4904003,19z?hl=ja
JR日向新富駅から県道306号線を宮崎方面に進み、左手にある『Aコープ』を過ぎた次の信号を右折。「ホソカワ電器」を過ぎた左手です。駐車場あり。
営業時間:20:00~
定休日:毎週月曜日