• 2018.04.10

御年90歳。戦後、エリザベスメロン生産に乗り出す~エリザベスメロン生産者 松浦アツシさん~

ハウスに入ると、直径15cmほどの黄色く熟れたエリザベスメロンが、ころころと顔を出していました。ほんのり甘い香りが漂っています。エリザベスメロンの出荷は、4月から6月頃まで。生産者の松浦アツシさんは、御年90歳でバリバリの現役。お年を聞いても、信じられないほどのお元気さです。

 

昭和35年頃からエリザベスメロンを栽培

松浦さんがエリザベスメロンの栽培を始めたのは、昭和35年頃。「その頃、この辺で農業って言ったら、唐芋か菜種、小麦ぐらいやったから、メロンにかなうやつはなかったわね。ハウスはまだなかったわ。トンネルを作ってそこに種を植えて、摘花も収穫も、トンネルにもぐらないかんかったとよ。大変やったけど、若かったからできたわね」と、笑って振り返る松浦さん。

松浦さんは昭和2年生まれ。今は、エリザベスメロン、イチゴ、デラウェアとマスカット、時期をずらして3種類のフルーツを育てています。イチゴは20年ぐらい前から、そして、ブドウの栽培を始めたのは、なんと昨年。「時期がずれるから、順番にお金になるやろう」と、大変さは微塵も感じさせません。

何もないゼロからのスタート

戦時中、松浦さんは航空隊の予科練に入り、朝鮮半島の北方で終戦を迎えました。戦後の状況はなかなか伝わってこず、ひとまず線路沿いを一晩中南へ歩き、何とか自分で探して、小さな船に乗り込んだそうです。山口県から新富町へと戻ってきた松浦さん。「貨物車に乗って着いたら、何もないっちゃかい。うちは建っちゃおったけど、壁はなかった」。それが、帰ってきて最初に見た光景でした。

「最初は麦やら唐芋やら。大変じゃった。そんげなもん全然、作ったことないっちゃから」。当時、松浦さんは19歳。病気で父を亡くし、母親と二人、農業を始めます。

最盛期は45人。失敗しながら研究を重ねる

なんとか経済状況をよくしたいと、メロン栽培に着手しました。最初はプリンスメロンだったと言います。その頃は、種苗屋が一括して種を出し、そこが出荷する所を決めていたそうです。

松浦さんがプリンスメロンに加えて、エリザベスメロンを始めた年、ちょうどプリンスメロンが多雨のため、売れなかったことをきっかけに、エリザベスメロンの栽培を本格化させました。「それじゃあエリザベスの方がマシじゃねえかって農協で協議して、変えようかということになった。文句は出たよ。なかなか最初は厳しかった。最初は5人で、だんだん増えて、最盛期は45人じゃったかな」。

そのエリザベスメロンの強みとは?1つ目は、肥料も水も、ほとんど必要ないこと。むしろやりすぎると裂果してしまうそうです。2つ目は、面積が簡単に増やせること。最初はたくさん失敗したそうですが、農協で部会組織を作り、栽培講習会を受けながら、おいしく、美しいメロンを追及してきました。

かわいらしいメロンにメロメロ♪

1つのハウスのメロンは、もうだいぶん熟れていましたが、もう1つの方は、まだ実がついいたばかりでした。葉っぱの勢いも若々しく、青々としています。まだ花が実の先端に残り、ふっくらと大きくなり始めたばかり。「かわいいですね」と言うと、「かわいいじゃろ」と松浦さんは嬉しそう。

エリザベスメロンは、摘花したら、後は手を入れなくていいそうです。実に黄色くきれいに色が付いたら収穫できます。原産地が中近東の作物なので、水はほとんど必要ありません。ビニールをかぶせる前に、じっくり湿し、メロンの玉が卵大ぐらいになったら通路に水を流し、それでOK。出荷は4月からスタートです。

「4月からは毎日、ちぎっていくよ。1番の実は、だいたい1週間ぐらいで終わり。その後は勝手になるから、3番果まで、6月ぐらいまで続くね」と松浦さん。種から育てて出荷まで約120日。「かわいいけど、最初はなんぼか食っても、そんなに食わんわね」と笑います。

エリザベスメロンは、収穫から10日ぐらいが食べ頃。暖かくなってくると、だんだん、実のサイズが大きくなってくるそうです。

松浦さんの健康の秘訣は?


背筋もしゃんとして、受け応えもはきはき。そんな松浦さんに、健康の秘訣を尋ねてみました。それは、毎朝飲む、奥様お手製の甘酒ドリンク。

「西都の麹屋から麹を買ってきて、うちで作るよ。毎朝1杯、甘酒にリンゴとバナナを入れてね。確かにいい。みんなにも『なんでそんな元気なと?』って聞かれるけど、甘酒かもしれんね」と松浦さん。

仕事への情熱と、毎日の愛情甘酒。若さの秘訣に納得しました。

松浦さんのエリザベスメロン。きっと元気も分けてもらえますよ。